【統一される市民運動】


  【統一される市民運動】 

(2015年9月19日記事)

 

 安全保障関連法案は安倍の思惑通り参議院を通過し、法制として成立致しました。

市民の溢れる思いがいとも簡単に無視され、強引に成立させてしまう安倍晋三という政治家はまさに自分の意のままに、民主主義というものを根幹から破壊した張本人と後世には語り継がれることでしょう。

 2012年秋の「国家情報管理法(日本版NSC)」から始まった安倍自民党政権と市民との戦いは「特定秘密保護法」「集団的自衛権」と続き、間に「米軍基地沖縄辺野古移転」を挟んで、今の「安全保障法制」へと繋がってきました。この間市民側は全敗が続き、ただただ臍をかむしかない日々が続いています。

 私どもは今回の事実を踏まえながら、「これからの政治や市民運動をどのように展開して行けばいいのか」という課題について考えてきました。少し長いPDFファイル(34P)になってしまいましたが、是非お目を通して戴きたいと思います。

 (上記画像は昨年ー2015年9月18日のものです)

         

         ≪統一される市民運動≫

       ―目次―

    <前文>

    【1】安倍政権の偽善 (戦後70年談話と積極的平和主義という偽善)

    【2】集団的自衛権

    【3】集団的自衛権を内包する安保法制とは何か(日本の防衛費・日本の貧困率)

    【4】アフガニスタン・イラクそしてシリアへと続いたイスラームテロリズムとの戦い

       <1>        ロシア:スターリンの亡霊とプーチンの脅威

       <2>        イスラームテロに於ける真の脅威とは

    【5】整合性ある倫理や哲学が新たな市民運動を生む

    【6】この世は神が創ったか、素粒子の「存在への意志」が創ったのか

    【7】これからの市民運動が目指すもの

     戦術その1:「集団的自衛権」の違憲訴訟

     戦術その2:政党政治を崩壊させる橋頭保としての「市民党」の旗上げ 

     戦術その3:市民党から市民議会へ 

    ・詳細は下部PDFファイルをダウンロードしてご覧下さい。

 

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統一される市民運動PDF34ページ
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<バージニア権利章典からワイマール憲法を経て、民主主義の本質を訪ねる旅>

 

人類の歴史の過程で権力の分立が初めて文書として現されたのは16世紀でした。

トーマス・ホッブス(イギリスの政治哲学者15881679)による著作(「リバイアサン(1651)」=国家についての政治哲学の著作)に依ってでした。詳細はここでは述べませんが、ルネサンス(14世紀~16世紀)以後に近代的な国家の概念は見直され、マキャヴェッリが権力関係から国家の成立を考察し、さらには宗教戦争や内戦などを通じて国家の新たな哲学的な基礎付けが求められるようになってきました。ホッブスはイギリスでの内乱を通じてこれらに問題意識を持つようになり、新しい国家理論の基礎付け、新たな政治秩序を確立することを目指しました。ホッブスによって提起された社会契約論や市民の自然権、有神論から無神論、二元論から唯物論、政治倫理と権力の存在、等の哲学的考察の筋道を議論の対象として、後の人類の倫理的方向性が生まれました。

 

「リバイアサン」への推考を重ねつつ、その後の社会原理や哲学が、ジョン・ロック、(1632年~1704年―イギリスの哲学者。経験論の父、主著『人間悟性論』で経験論的認識論を体系化。政治哲学者として『統治二論』別名『市民政府二論』として1689年に刊行)、ルソー(1712年~1778年―ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した哲学者、政治哲学者、作曲家『社会契約論』1762年)、シャルル・ド・モンテスキュー(1689年~1755年―フランスの哲学者『法の精神』1748年)らによって展開されて行きました。

 

   ジョージ・メイソン1725年~1792年)

今日の世界の主流をなす法典の基本は、バージニア権利章典(Virginia Bill of Rights)とされています。1776年に起草された文書ですが、「不相当な」政府に対する反抗の権利を含み、人間に本来備わっている自然権を宣言したものでもあります。バージニア権利宣言(Virginia Declaration of Rights)とも呼ばれるこの章典は、ジョージ・メイソンによって起草されたものです。18世紀の自然権思想を集約的に成文化したものであり、基本的人権の思想を世界で初めて明文化したもので、合衆国憲法制定の際には、基本的人権の保障が明確に示されていなかったことから、1791年に修正第一条から修正第十条までの修正条項として追加されました。この章典は後の多くの文書に影響を与え、1776年のアメリカ独立宣言、1789年のアメリカ権利章典、および1789年のフランス革命における「人間と市民の権利の宣言」などが列挙されます。全文で僅か16条からなる権利章典は、これが18世紀末に起草されたものとは思えないほど的を射た章典であり、21世紀の今日でさえ尚存在感を持って私たちに迫ってきます。以下に全文を掲載させて戴きますので、まずはお読み下さり、その後にこれからの私達の目指すべき方向性を議論させて戴きたいと思います。

 

 バージニア権利章典の全文から始まる権力の分立統治、そしてワイマール憲法の欠陥を巧みに利用したヒットラー

 ◆自民党の緊急事態条項草案と内在する安倍政権の欺瞞

 ◆市民による司法改革の由来と実現性

 ◆ハーバード流思考方としてのマイケル・J・サンデル教授とジョン・ロールズ教授の政治哲学史からみる将来への展望

 ◆砂川判決と原発再稼働判決によって示された最高裁判所の苦悩から市民的視点への変化の兆し

 ◆民主主義のあるべき姿と未来の統治機構の在り方と市民思想の高揚へ

 

 以上の内容で新たな市民機構の在り方をPDFにまとめましたので、下部のファイルをダウンロードしてご覧ください

     NGO 市民プラットフォームジャパン  笹岡 哲         2016年4月20日

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NGO 市民プラットフォームジャパンレポート;Vol 6421
NGO Civilian Platform Japan Daily News A
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 2012年の日本版NSC(国家安全保障局)に始まった安倍自公民政権は、2014年には集団的自衛権の違憲性を強引に突き破り、昨2015年9月には安保法制を成立させました。員数の帳尻合わせの為に公明党を囲い込み、労することなく国会を悉(ことごと)く制して来た安倍自民党政権。昨秋より続いて来た、民主主義国家を目指す市民の大いなるウネリも安倍自公民政権に無視され続けてきました。民主党、共産党、そして維新を初めとした急ごしらえの野党勢力には全くなすすべがありませんでした。

 

◆草の根の市民運動が日本で日の目を見る事は出来るのだろうか、という沈んだ心地に陥ることもありました。

暗中模索といった日々がすでに3年も経過し、シールズという若者たちの社会参加を歓迎しつつも、彼らの声に答えることが出来なかった2015年。これからの市民活動の原点として、私たちは新たな行動指針をここに記したいと思います。その新たな戦略の指針となったのは1999年に制作された「日独裁判官物語」でした。(下部に私どもが了解を得てYoutubeにアップさせていただいた映画のアドレスを記しております)

 

1945年、同じ敗戦国として日本とドイツは国家再生の道を歩み始めました。そして2016年の今日、日本とドイツは、民主主義という点において、経済再生という結果において、大きく差異をつけられてしまっています。

 

◆経済的発展のみを第一義として国創りにいそしんで来た日本。社会正義と市民の自由、平等、人権を重んじて来たドイツ。

市民によって構成される一つの国家という原点に立ち返り、人間の尊厳を決して忘れてはならない、という理念を育んできたドイツ。社会がどのように乱雑になろうとも、経済さえまともなら後はどうにでもなる、と高をくくって来た日本。その結果が以下の通りです。最大の問題点は国家債務によって明らかになっています。

 

ドイツ:人口ー8100万人 GDPー3兆3600億ドル、GNP(国民1人当たり)41.481ドル

         国家債務:GDP比で78%(262兆円)。2014年度は黒字に転じ、今年

         (2016年度)は昨年の国家収益の50%をシリア難民支援に用立てると決

         定されています。

 

日本:人口ー1億2700万人 GDPー4兆2100億ドル、GNP(国民一人当たり)38.216ドル

         国家債務:GDP比で240%(1050兆円)。2016年度も40兆円程の国債

         を発行しなければ予算が組めないという状態です。

 

ドイツと日本の人口比から言えば、日本のGDPはドイツの1.5倍ーすなわち50400億ドルを計上していなければなりません。そしてGDP比で言えば、国家債務は392兆円であればドイツと同等だと言えるでしょう。勿論政治権力による戦略の相違があったとはいえ、日本の国家債務は世界で群を抜いてトップをひた走りに走っています。

 通常であればまさに借金地獄といったところです。日本という国が破綻国家となっていないのは、ひたすら勤勉に国民が労働し、そこから得た賃金を貯蓄という形で残してきたからです。国民の総貯蓄額が国際的信用を得てその首が繋がっていたといっても過言ではありません。

 しかし日銀のマイナス金利導入によってその国民貯蓄すら海外に流出する可能性がある今日のグローバルな金融世界。

 2001年の小泉政権から始まった国債増額による国家予算計上は、そのまま安倍政権に受け継がれ、2000年迄ずっと400兆円以下だった国債発行額が僅か15年で一気に600兆円も増えてしまったのです。今、国民の税金で賄われる筈の国家予算の30%以上が、この国債の利払いと償還金に当てられています。

 

◆経済一辺倒で来た日本が結果としてドイツに大きく後塵を拝しているのは何故でしょうか?

その大きな要因は、国民の総合的な意識の違いにあると言えます。日本では「お金の入る事だけ言っておけば、政治家は当選できる。事実を捻じ曲げようとも、政治家のいうことを国民は信じてしまう、という馬鹿げた論理が罷り通って来ています。

 ドイツが真面目になったのはナチス・ドイツの反省からだと思っている人たちも多いようですが、実は根源的な人間の尊厳への理解からくる理念を、国民の多くが抱いているからだと私は思っています。それは「カントやショーペンハウエルに代表されるように、理性に基づいた倫理観がごく自然に体の中に浸み込んでいる」からとも言えます。

 

国を形成して行くのは政治や行政や司法の規範ではなく、国民の総意で形成されて行くものであり、より健全で意欲に満ちた市民の意識が原点にあって、初めて国家は正常に機能して行くものです。ドイツは東西両ドイツが一つになった1990年から未だ26年しか経っていません。このような短期間で今日のEUのリーダーとなりえたのは、市民一人一人の意識が集約され、対話を通じて構成されてきた様々な社会機構の変化から生み出されたのだと考えられます。

 

◆ドイツと日本では司法の在り方も大きく異なっています。詳細は映画「日独裁判官物語」をご覧戴ければお判りになると思いますが、最も重要な点はドイツにおける正統な民主主義は、「裁判官や司法関係者、施政者達が、市民と一緒になり、対話を通じて様々な改革を実行して来た」という点です。裁判官達が市民と一緒になって「核廃絶運動」に参加し、逮捕拘留という事態になっても、圧倒的な市民の喚呼によって裁判官達にペナルティが課されることはありませんでした。

 

1980年代から始まったドイツの司法改革は、映画が制作された1999年において、すっかり社会に定着したものとなっていました。一旦認可された「原発建設」も一人の裁判官の決断によって「原発建設の認可」が取り消されています。脱原発についても、市民グループと裁判官も加わった、「如何に現政府に脱原発を認めさせるか」という活動を経て、結果としてメルケル首相が政府方針として取り入れたことは、皆さんがよくご存知の通りです。

 

◆この映画は1999年に日本の元裁判官や弁護士といった現役の法曹関係者の方々の手によって作成されたものです。6000人にも及ぶ司法関係者達の各々1万円の拠出金によって創られた映画ですが、そこには第二次大戦で共に敗北した日独という二つの国家の、その後の国創りの大きな方向性の差異がまざまざと描かれています。

 

★映画を制作されたのは<制作・普及100人委員会>の方々で、代表は元日弁連会長の鬼追明夫(きおいあきお)氏、事務局長は高橋利明氏(弁護士=情報公開センター)、他の方々です。

*映画に登場されているのは:鬼追明夫(元日弁連会長)、梶田英雄(元裁判官1998年退官)、田川和幸裁判官、井垣康弘裁判官、安倍晴彦弁護士(元裁判官1998年退職)です。

 ドイツ側からは:ドイツ連邦憲法裁判所長官ーリンバッハ女史、ドイツ連邦憲法裁判所:ユルゲン・キューリング判事、ミュンヘン区裁判所:ヘルビック裁判官、フライブルグ行政裁判所:エッカー裁判官、ブラウンシュバイク高等裁判所:クラマー元裁判官、等です。

 

◆「日本ではこんな訳には行かない」と思われる方々も多いと思いますが、ドイツでも社会に定着するには20年近くの年月がかかっています。日本でもすでに17年も前にドイツに学び改革を行おうとされた司法関係者が多々おられた訳ですから、今年から本格的な市民運動を始めれば、5年~10年でそれなりの社会機構が出来上がる筈です。社会というのは一旦火が付けば、燎原の火の如くに熱く燃え上がるものです。日本の市民社会の意識の高揚は、昨年の反安保法制の時のように下地はすでに出来上がっています。後は明確な戦略と戦術を対話を通じて煮詰めて行けば、必ずや民意が政治に反映される日が来ると確信いたしております。

 

ただ日本の裁判官を取り巻く環境は旧態然としたものであり、1998年には「国連国際人権規約委員会は日本の裁判官の人権教育の必要性を強く勧告した」と記されています。

 

◆私たちは司法との連帯を最重点に、尚且つ参議院選挙をも視野にいれた活動とすべく、新たなキャンペーンページをChange.orgのサイトに立ち上げました。参議院選挙では最高裁判所長官の信任投票も行われる筈です。

 皆さんからのコメントをパブリック・コメントとして法務大臣や最高裁長官、そして現安倍政府に渡して行きたいと考えております。以下のアドレスをクリックして頂いて、ご賛同及びコメントなどを頂戴出来ればと切望致しております。皆さんの思いの丈を司法関係者や施政者、そして他の市民の方々にとどけさせて戴きます。どうか宜しくお願い致します。

  (今回は嘆願書ではありませんので、ウエブ署名だけで十分でございます。)

 

  [司法と市民の連帯から新たな世界が始まる]市民の為のキャンペーンサイト

         

    映画「日独裁判官物語」1999年制作:

              <制作・普及100人委員会> 代表 鬼追明夫(元日弁連会長)

                 Youtube版作成:NGO市民プラットフォームジャパン

             アドレス:  https://youtu.be/FLbp39nxlw4

  

            2016年3月5日 NGO 市民プラットフォームジャパン 

          共同代表 藤原節男(脱原発ドン・キホーテ)、笹岡 哲


<安倍政権の終焉>(第一部)
(1) 消費税は払わない
 
❶消費税増税が何故必要となったのか
そもそも消費税を導入しなければならなくなったのは、日本の財政が急激な赤字に陥ったことにあります。
2000年には368兆円だった日本の債務残高が、2015年には1057兆円にも達する世界に類を見ない超債務国に成ってしまったのは何処に原因があったのでしょうか?
以下のレポートで検証致しますが、その原因は自民党政権の誤った国家戦略に在ったことは確かです。
2001年の小泉政権から端を発した経済規模拡大主義は、それまでの慎重な国家戦略から大きく方向転換し、見せかけの国家財政の拡大によって、国の経済規模だけを肥大化させました。結果はただ国の債務を無軌道に増大させただけのことでした。
 過去55年間に亘って培われて来た日本国民の真摯な経済活動と市民生活を、21世紀に入ると同時に台無しにしてしまった、という見方も出来ます。端的に言えば、借金をしてそのお金を家族全員で浪費した、という家計を想像してみて下さい。残ったものはただ借金だけ、というのが今の日本の現状です。財政赤字が解消できないから、「消費税を増税します」という安易な結論を、私たち国民は受け入れる訳には行きません。国民を蔑ろにした永田町政治施策の失敗は、政治家達や恩恵を受けた一部企業群にすべてその付けを払わせるのが当然とも言えます。
 今日(2016年1月29日)、日銀の黒田総裁は苦し紛れの最後の一手「マイナス金利」の方針を打ち出しました。マイナス金利とは端的に言えば、「銀行へ預金しているお金が年月を経るごとに目減りしていく」ということです。大量に発行した通貨が使われることなく銀行に預けられているだけでは、経済活動の活性化は望み薄と判断したのです。国民が預金を取り崩して国債や株式、FXなどに投資し、預貯金の減少と購買意欲を刺激し、物価上昇を招くマネーサプライに変化させようという狙いです。
 私たち市民はこのような苦し紛れの一時しのぎの施策に、安易に乗せられる訳には行きません。しっかりと今の日本の現状を見極めて行かなければなりません。(*マイナス金利の経済的影響については第二部で分析させて戴きます)

 

 ⁑本文はPDFファイル(10ページ)に纏めておりますので、ダウンロードしてご覧頂ければ幸甚です。⁑
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安倍政権の終焉
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【パリ同時多発テロ:総集編】

                     Vol-1

                           

 ムスリム社会との平和共存が喫緊の課題となる中で起きた2015年11月13日の「パリ同時多発テロ」は実に悲しいことでした。アイシス(ISIS)に触発され洗脳された若者達の、人類の未来を踏みにじる行為は、決して許されることではありません。彼らが何故このような行為に至ったのかを深く見つめ、犠牲になられたパリ市民130人の方にご冥福を捧げつつ、これから我々市民が何をどのように考えるべきかをしっかりと把握しなければなりません。

 

国連が何の役割も果たせなくなった今、世界の平和実現へ向けた新たな理念のもとで、世界市民が結束しなければ未来を変えることは出来ないでしょう。これまで世界を支配してきた政治理念=軍事力による国家バランス=等という愚かな概念は捨て去ることから始めなければなりません。

 

      【パリ同時多発テロに於ける考察と世界のパラダイムの変換】

             <目次>

        【Ⅰ:パリ同時多発テロの経過】

        【Ⅱ:パリ同時多発テロ後の状況】

         (1)パリ同時多発テロ後の各国の状況と背景

         (2)忘れてはならない重要な要素としてのクルド自治政府のペシュメルガ

        【Ⅲ:パリ同時多発テロから見えてくる事】

         (1)死に至るまでのテロリスト達の苦悩

         (2)テロリスト達の思い

        【Ⅳ:パリ同時多発テロは何故起きたのか】

         (1)最大の原因はシリア:アサド大統領の独裁

         (2)気候変動による旱魃

         (3)オサマ・ビン=ラディンの殺害

        【Ⅴ:我々市民が学ぶべき理念と執るべき行動】

         (1)市民の覚醒と連帯

         (2)覚醒 

         (3)市民の連帯

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【パリ同時多発テロに於ける考察と世界のパラダイムの変換
パリ同時多発テロ最終版.pdf
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    ≪核兵器の不拡散に関する条約≫

(NPT:Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons

 

 2015年4月28日から5月22日にかけてニューヨーク国連本部にて開催されたNPT締約国再検討会議は、最終的に合意文書による会議の終結を見ることなく閉幕されました。この再検討会議は核兵器全廃を目的として、5年に1回開催される国際会議ですが、核保有国と非核保有国との思惑が乖離した状況のままに、1995年以来何の前進もなく今日まで経過して来ました。(1970年3月ー25年の期限付きで発効、1995年の見直しで継続された条約)

 

 この条約は、核軍縮を目的に、単にアメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中華人民共和国の5か国以外には核兵器の保有を禁止しようとする条約であり、本質的に核兵器全廃を目指すためのものではありません。余りにも不平等で身勝手な国際条約ですが、この中身の段階的変更を目指すべき会議が、今日の国際間で軽視され続けている現状は、拒否権を未だに認めている国連の在り様と同時に疑問符を投げかけていると言わざるを得ません。 

 2015年5月22日に締約各国に配布された合意文書原案: http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000072173.pdf

 

  • 生物兵器禁止条約    =1972年
  • 化学兵器禁止条約    =1993年
  • 対人地雷禁止条約    =1997年
  • クラスター爆弾禁止条約 =2008年

 

◆核兵器を禁止する条約は、未だ存在していません。

 しかし、今回の核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、核兵器の非人道性が中心議題の一つとなり、オーストリアの提唱した核兵器禁止文書107カ国が賛同しました。しかし日本は唯一の核被爆国でありながらこの文書に賛同署名をしませんでした。

 ある海外メディアでは(今回は報道規制が海外の大手メディアにもかけられており、一連の会議の内容詳報は余り報道されていませんでしたが)

アメリカの「核の傘」の下にある日本は、アメリカに配慮して賛同せず、被爆国として核の恐ろしさを訴えながらも核を否定できないという「軟弱性」を見せた。」と報じています。

 

◆最終文書を採択できないまま閉幕したその主な原因は、「事実上の核保有国であるイスラエルを念頭に置いた中東の非核地帯化を巡る米英と中東諸国の協議が難航、文書のとりまとめに失敗した。NPT体制は形骸化の瀬戸際にあり、オバマ米大統領が提唱した【核なき世界へ】の機運は後退した。」と日経では報じています。

 

◆しかしこれら報道機関のもたらす情報は真の意味を見つめうる事象ではなく、一つの狭い局面だけを報じたに過ぎません。

 

◆実質的に「核」の世界をリードしているのは、核兵器だけでなく原発までをも含めた原子力産業を支配するコングロマリットであり、同時に世界のマネーを支配しているビルダーバーガー達だということを忘れてはなりません。オバマ大統領が就任演説で固い決意を示した「核なき世界」への道程は、はかなくも潰え去りました。

 

◆世界最大の権力機構を持つはずのアメリカ大統領でさえ黙過せざるを得なかったこの核の世界へ、これまで世界でただ一人挑戦した政治家がいました。元ソ連の指導者・ゴルバチョフ氏です。

★彼はレイキャビクに於けるアメリカ大統領レーガンとの戦略的核兵器削減交渉で、「保有核兵器の半減」を持ちかけました。それはゴルバチョフ氏自身が明言しているように最終的には核兵器全廃を前提としたものでした。

 しかし件のマネー群に支配されているレーガンには、ゴルバチョフの熱弁にも耳を貸すゆとりはありませんでした。交渉が行き詰まり、レーガンが帰国の車に乗り込む時に至っても、「私は貴方の心変わりを待っています」と耳元に顔を寄せて迫ったのがゴルバチョフでした。

 ゴルバチョフが冷戦構造に終止符を打ち、グラスノスチやペレストロイカなどの情報改革を含めた政権運営を変化させたその根幹には、「チェルノブルの原発事故」があったと語っています。

 

   ●世界の市民が主体となった核兵器全廃へ向けた連携を創造する

  • 非核保有国連合の創設
  • 核保有国に対する経済制裁(米・露・英・仏・中・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮の9カ国)
  • すべての輸出入の禁止
  • 関連各国への金融の流れを停止
  • 核兵器廃止施設建設と運営

 

   ●安倍内閣の安全保障法制:あり得ない「集団的自衛権」

 

  • 「積極的平和外交」とは「武力を全否定した世界平和実現の為の外交」という意味であり、「核の抑止力という時代錯誤の軍事力を前提とした一方向だけの外交」という安倍の方針とは全く異なるものです。「集団的自衛権」とは、ある特定の国家集団とのグループ化であり、日本国民を真の平和共存の道へと導くものではありません。平和外交と集団的自衛権とは決して両立することが出来ないものであり、安倍の言う虚偽・欺瞞の最たるものと言えます。
  • 「核の抑止力」という解釈はすでに今日では成り立っていません。プーチン大統領がクリミア併合の折に核兵器を準備していたというのは周知の事実ですが、仮にこの時プーチンが戦略核兵器を使用していたなら、ロシアという国家は今頃はこの地球上の地図から抹消されていたことでしょう。どのような国家であれ、核兵器を使用すれば、国も国民もその存在は継続出来ない時代になっているという事を知らなければなりません。「核の抑止力」という言葉はすでに反故となった概念でしかありません。21世紀の国際社会には通用しない概念です。幻の言葉に踊らされている政治家や官僚の世界は、すでに市民から遠く離れた位置に取り残されていると知らなければなりません。
  • 日本の政治も大きく方向転換しなければなりませんが、誰が、どの党が、日本を変え得るでしょうか?未だに釈然としない民主党や野党、公明党は政教の分離も出来ないままに自民党の金魚の糞と成り果て、未だ古い概念に縛られっぱなしの共産党は党首すら変えられずにいます。維新に見る哲学の欠如は橋下の浅はかな独断に自己崩壊し、名も知らぬ小政党が雨後の竹の子のように生えては消えて行きます。
  • 唯一期待出来そうなのが河野太郎氏だと思えますが、彼にわが身を日本改変に投げ入れることが出来るでしょうか?自民党内部の善意の議員を集約し新たな政党を創設して欲しいものです。
  • 「安倍の嘘」を集めたサイトが藤原節男氏によって紹介されています。

     【安倍晋三は小学生時代から嘘つきだった】

        https://goo.gl/CSAENP


   【isisで犠牲になられた後藤さん、湯川さん、に心からご冥福をお祈り致します】


           【ISISで犠牲になられた後藤さん、湯川さん、お二人に心からご冥福をお祈り致します】

                                                          -2月1日2015年ー

  ー愚かなる安倍首相と日本政府になりかわってー

この期に及んでも「関係国と連携していく」という事しか言えない安倍という人物の愚かさ。

 「彼がテロに屈しない」といった瞬間から、湯川氏、後藤氏の運命は決まっていたと言うしかありません。この時点でお二人は見捨てられてしまったと言えます。

 まずはオバマ大統領にすがりつき、ヨルダン・アブドラ国王に頭を下げ、オランド大統領、キャメロン首相に平身低頭してお願いをのたまわり、自身は何もしなかった安倍と日本政府には、ため息が出るばかりです。

 おろおろと周辺国を回り続けるしか知らない日本外交の姿は、毅然としたはずの日本人魂を忘れ、独自の外交を形成する最大のチャンスをも逃してしまいました。日本人としてただただ恥じ入るばかりです。

 湯川氏や後藤氏のご家族に対し、心からお悔やみを申し上げます。私たち日本人が国主として選択した政治家全員が如何に無能な者たちの集団であったかを、市民を代表して弔意を述べさせて戴きます。

 

「本当にご愁傷様でございました。このような無知で蒙昧な政治家たちを選んだのは我々日本市民です。国民の安全すらないがしろにし、集団的自衛権などという他人頼みの外交姿勢しか見せることが出来ないような自由民主党と公明党を選んだことに、今さらながら悔やんでおります。どうかお許し下さいませ。

 これからは、決して2世3世といった政治オタクの子孫には決して投票致しません。群れをなしてこの国をダメにしていく政治家集団などは決して選択致しません。毅然として自ら命がけで国民を守ろうとする者だけを選んでまいります。自ら火中の栗を拾いに行ける腰の据わった政治家だけを国会に上らせて行きます。小手先の戦略だけで、その場しのぎを実しやかに言いつのり、その場をごまかすような政治家は、もう決して国会には上らせません。

 これを機に、日本の外交戦略を、大きく変えさせていく市民組織を強化し、本当の恒久平和を実現できる社会機構に変えさせて行きます。

 市民の皆様、湯川氏と後藤氏に対し深くご冥福をお祈り致しましょう。2度とこのようなことが起こらない、起こさない日本にして行くことをお誓い致しましょう。」


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イスラム国人質(後藤健二氏)事件に関する日本政府への緊急メッセージ
1月26日2015年版。将来を見据えた日本政府の選択すべき道。
首相官邸・緊急メッセージ1.pdf
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PARIS UNITY RALLY  / January 11th 2015



市民機構の理念

                     

   《グローバル市民主義の抬頭》

 

   

 市民機構とは本来行政府とは乖離したところにある純粋な市民としての活動を意味しております。時の政権に左右され、真に必要とされるミッションに対して、様々な障壁が立ちはだかり、一直線に平和共存への道を歩み続けることが出来ないというジレンマが常に存在する現代社会。余計なディベートやネゴシエーションに時間を割かれながら、少しも現実を変革していくことが出来ないという現在の社会機構の病巣が、実は民主主義という原理そのものに内包されているのではないかと思えてなりません。

 

三権分立という民主主義の論理は、一つの手続きを前提として成り立っているものでした。それは原則として、18世紀から続いて来た「多数決の原理」を基礎とし、信任の投票という議会制民主主義を前提として今日まで続いてきました。

 しかし現在の世界における社会的矛盾はすべてここに起因していることも判ってきました。社会原理は時代と共に変遷して行かなければ、[平和共存]という人類すべての願いを適えることは困難だと思えます。

 

 2014年9月21日、ニューヨークを中心として世界の160ヶ所以上で、気候変動に対する市民ウオーキングがネットを通じて呼び掛けられました。この時ニューヨーク市だけで約300,000人が気候変動マーチの為に、セントラルパークを中心に集まってきました。史上最大のイヴェントとなり、世界各都市との連携では346万人人が参加したと報告されています。この日は国連の潘基文事務総長や元副大統領のゴア氏なども参加し、熱いNYとなり、2日後に行われた23日の国連総会では、気候変動に対する共同声明の採択と多くの分科会での、効果的な合意がなされました。 

            

第一回として開催されたリオデジャネイロでのCOP1(環境と開発に関する国際連合会議)は、1992年6月3日か

ら14日にかけて開催されました。この時は国連の招集を受けた世界各国の産業団体、市民団体などの非政府組 の、世

界172ヶ国の代表が参加し、代表約2400人と、のべ4万人を越える人々が集う国際連合史上最大規模の会議となり、世界的に大

きな影響を与えるようになりました。

今日、市民の国際的連携による活動は環境問題に特化されたものではなくなり、更に進化し、拡大されつつあります。各

国の政治の不備やイリーガルな回答・処理に対し、当該国の市民だけでなく国際的な連携による力を社会変革の大きなム

ーブメントとして、その影響力を拡大しつつあります。

国連が常任理事国5カ国の視野の狭い独善的な組織となり、市民の願いが全く無視され続ける現状では、社会の矛盾を解

きほぐす事は出来ません。シリアやウクライナの推移に臍を咬む人々も多くおられたことと思います。「拒否権」という

戦後レジュームが残された国連には、これから必要としている統治機構全体の近代化は望むべくもありません。

 

日本ではこの夏、アイス・バケツ・チャレンジが行われ、山中伸弥教授も参加されていました。これは2013年の冬からアメリカで慈善運動の資金調達の為の「Cold Water Challenge」と呼ばれる運動がソーシャルメディアを通じて話題を集めましたが、その後様々な著名人が次々と指名を受けて拡大されて行った運動です。プロ・ゴルファーのクリス・ケネディーが友人の指名を受け、米国・ALS協会(筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic lateral scierosis)を寄付先に選び、ALS患者を夫に持つ従妹を次に指名し氷水を被ったあたりから、ALSに係わる人々の間で広まって行きました。フェイスブックのCEOマーク・ザッカ―バーグより指名を受けたビル・ゲイツは、氷水を被る装置を作るなどしてYoutubeに投稿し、ケネディ家のエセル・ケネディがバラク・オバマ大統領を次に指名するなど全米に拡大された運動として注目されました。ちなみにこの時オバマ大統領は寄付をすることで水浴びは免れたようです。日本ALS協会は日本国内でのこのアクションで約3700万円の寄付を集められたそうです。そしてこれら寄付の大部分が、協会での協議の結果医療研究機関に寄付されたということです。

当市民機構の倫理構成の中でも、このような市民を喜びにつなげ得るソーシャル活動に関しては諸手をあげて賛同するものですが、一方このような運動に関しては常に賛否両論があることも忘れてはならないと感じております。企業や個人の宣伝活動に利用されていることも多々あることにも意識を内包しておかなければならないとも思われます。しかし、その様な事実が含意されているとしても、世界中が一つのことに新たな共感の渦を自らの行動として示し、そこにかってなかったような充実感を得られる行動となることが出来れば、多様な市民感覚をも凌駕しうる素晴らしいアクションであることは間違いのないことと感じさせられます。

 

市民意識として忘れてならないのは、政治や行政に任せる社会的枠組みから必然的に生じて来る幾多の矛盾に対して、その不合理性を無くし、共存の断裂を生じさせている社会システムを糾して行く、という大前提を忘れないことだと思っております。

 当NGOは司法、立法、行政といった従来の概念から脱却し、市民を中心とした新たな社会機構の中で、平和共存という人類共有の願いを実現する為に、協調のとれた世界の構築を最重要課題として取り組んでまいりたいと強く願っております。市民の皆様のご支援を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。