*藤原節男氏経歴書*
1968年(昭和43年)3月 私立灘高等学校卒業 1968年(昭和43年)4月~1972年(昭和47年)3月 (4年) 大阪大学工学部原子力工学科卒業。原子動力専攻(吹田徳雄教授、藤家洋一助教授、宮崎慶次助手)で学んだ。卒業論文は「液体ナトリウム沸騰ループ試験装置による液体ナトリウム沸騰現象実験」 1972年(昭和47年)4月~1978年(昭和53年)3月 (6年) 三菱原子力工業㈱ プラント設計課系統設計係にて玄海1/2号、大飯1/2号、伊方2号(工認段階プラント)の原子炉冷却系統、主蒸気主給水系統、原子炉補機冷却水系統、制御用空気系統設計担当。この間、1974年(昭和49年)10月~1976年(昭和51年)3月に三菱重工業㈱ 神戸造船所軽水炉計画課に出向、その当時問題となっていた蒸気発生器細管腐食対策に参加。海外蒸気発生器トラブルデータ収集等、トラブル発生防止システムを担当 1978年(昭和53年)4月~1980年(昭和55年)2月 (1年11ヶ月) 三菱原子力㈱ 軽水炉プロジェクト部にて川内1号建設段階プロジェクト、川内2号安全審査段階プロジェクト担当 1980年(昭和55年)3月~1982年(昭和57年)12月 (2年10ヶ月) 三菱重工業㈱本社 原子力品質保証統括室にて三菱原子力グループ(MHI神戸造船所、三菱原子力工業、三菱電機、MHI高砂製作所、三菱原子燃料)の全体統括QAマニュアル立案担当および、三菱原子力グループ内QAシステム監査員。この間、米国原子力品質保証システム調査(米国出張3週間) 1983年(昭和58年)1月~1991年(平成3年)3月 (8年3ヶ月) 三菱原子力工業㈱ 軽水炉プラントプロジェクト部にて敦賀2号建設プロジェクト担当(工認段階から試運転、営業運転開始まで)、通産省「軽水炉改良標準化(工認標準化)」担当 1991年(平成3年)4月~1996年(平成8年)3月 (5年) 三菱原子力工業㈱系統設計部、三菱重工業株式会社本社原子力システム設計部にて敦賀3,4号化学体積制御系統、廃棄物処理系統、濃縮ボロン(10B)電共研、電解研磨社内試験研究、既設プラント小口工事系統設計担当、設計効率化委員 1996年(平成8年)4月~2000年(平成12年)6月 (4年3ヶ月) 三菱重工業㈱本社軽水炉プラント技術部にて将来型軽水炉システム技術調査(NUPECプロジェクト)、発電設備技術検査協会プロジェクト技術窓口、将来型炉(SPWR)開発(電共研)担当、設計効率化委員 (注)この間、通産省の委員会組織である「原子力発電情報高度化実施委員会」のプラント特性評価分科会、事故・故障分析評価分科会、信頼性評価分科会の委員を歴任。また、SPWR開発(電共研) プロジェクト担当として、渡米し、米国ウェスティングハウス社との仲介役を実施。 2000年(平成12年)7月~2005年(平成17年)3月 (4年9ヶ月) 日本原子力研究所東海研究所エネルギーシステム研究部将来型炉研究グループにて、低減速軽水炉(低減速スペクトル炉)技術実証炉研究開発プロジェクト担当 2005年(平成17年)4月~2009年(平成21年)11月 現在(4年8ヶ月) JNES検査業務部在籍、PWR、BWRの定期検査、定期安全管理審査、溶接安全管理審査等に検査員として従事。 <自己PR> PWR系統設計、原子力発電所建設プロジェクト、品質保証等の経歴により、既存PWR型原子力発電所設計、建設、試運転、品質保証をよく知っています。また、業務効率化活動に熱心です。将来型炉(SPWR)開発(電共研)では米国ウェスティングハウス社との共同研究担当でした。英語も話せます。快活、健康で、仕事熱心です。原子力施設安全確保に役立てば幸いです。 以上 |
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